AALA Forum 2017(第25回)

「アジア系アメリカ文学における人種を再考する」
“Reconsidering Race in Asian American Literature”

日時:2017年9月23日(土)、24日(日)
会場:神戸大学六甲台第2キャンパス(文理農キャンパス)
 [シンポジウム、イヴニング・セッション、特別講演] 
 人文学研究科B棟1階B132教室(視聴覚教室)
 [懇親会・ランチョン]
 生協食堂LANS Box 2階

総合司会:山口知子(関西学院大学[非])


第1日 9月23日(土) [Day 1: September 23, Saturday]
13:30 ~ 14:00 受付                  
14:00 ~ 14:10 開会の挨拶 小林富久子(AALA代表:城西国際大学)
14:15 ~ 17:45 シンポジウム
「アジア系アメリカ文学における人種を再考する―hapa、Amerasians、postracialism」
パネリスト:
<兼司会> 山本秀行(神戸大学)
「Kip Fulbeckのhapaとしてのアイデンティティ・ポリティクスとアート」
ウォント盛香織(甲南女子大学)
「hapa文学における人種と絡みあうセクシュアリティ」
渡邊真理香(高知工業高専)
「Nina Revoyrとポスト・レイシャル・アメリカ―Lost Canyonを中心に」
古木圭子(京都学園大学)
「Velina Hasu Houstonの戯曲にみるアメラジアン性と家族像―A Spot of Botherを中心に」
ディスカッサント:松本ユキ (近畿大学)
18:00~  夕食・懇親会  司会:松本ユキ

第2日 9月24日(日) [Day 2: September 24, Sunday]
9:00 ~10:15 モーニング・セッション (Morning Session):
“Hollywood’s representation of inter-racial relations (white, black, and Japanese/East Asian)”
講師(Lecturer):Brian Locke(Assistant Professor, University of Tokyo)
司会(Chair):Alina Elena Anton(Kobe University)
10:30 ~12:00  特別講演
「ヘンリー・ジェイムズの「人種」認識:“Whiteness”の創出―後期 小説 作品と旅行記『アメリカの風景』をめぐって」
講師:別府惠子(神戸女学院大学名誉教授)
司会:桧原美恵(AALA前代表)
12:00 ~ 12:30 総会  司会:深井美智子(神戸女子大学[非])
12:30 ~ 13:30 昼食会(ランチョン)  司会:深井美智子
13:30 ~ 閉会の辞 植木照代(AALA初代代表)


<シンポジウム概要>
1960年代後半のアジア系アメリカ人運動の時代から90年代のmulti-culturalism隆盛の時代まで、アジア系アメリカ人は、黄色人種という「人種」、さらには日系、中国系、フィリピン系などのそれぞれの「エスニシティ」に基づくアイデンティティ・ポリティクスを展開し、“Claiming America”、すなわち、アメリカに対して自らの存在証明を求め続けてきた。他方、1960年代以降に全米の各州で異人種間結婚禁止法が撤廃されていく中で、アジア系アメリカ人における異人種間結婚は増加し、混血(mixed race)あるいは複数の人種の持つ(multi-racial)人たちの存在が顕在化してきた。とりわけ、2009年にケニア人と父と白人の母の間にハワイで生まれたBarack Obamaが第44代アメリカ合衆国大統領に就任すると、マスメディアの影響も相俟って、“Post-racial America”を理想とする気運が高まった。また、近年、文化人類学の立場から、「人種」の社会構築性を主張し、「人種神話」の解体を志向する動きも見られるようになってきた(川島浩平・竹沢泰子編『人種神話を解体する』東京大学出版会、2016)。しかしながら、二期8年にわたるObama大統領の任期が終わりを迎え、人種差別や人種による経済格差や社会的不公正がいっこうに無くならない現実を前に、“Post-racial America”の理想は次第に失望へと変わり、さらに「人種」を問題化しないことにより、いっそう人種差別を助長する弊害も指摘され始めた。
本シンポジアムにおいては、4人のシンポジストが、hapaやAmerasianなどとも呼ばれるbi-racial/multi-racialなアジア系アメリカ人作家たちの多様な文学テクスト(芸術作品)に挑み、“Post-racial America”時代以降のアジア系アメリカ文学における人種を再考していきたい。なお、各シンポジストの発表要旨は、以下の通り。
(発表要旨)
・山本秀行(神戸大学)「Kip Fulbeckのhapaとしてのアイデンティティ・ポリティクスとアート」
中国系と白人(イギリス人)のbi-racialのアーティストで、1200人以上のmulti-racialなアメリカ人を写真として記録した“The Hapa Project”(2001)で有名なKip Fulbeckのhapaとしてのアイデンティティ・ポリティクスを、そのアート(spoken wordや映像作品を含む)の分析を通して明らかにする。
・ウォント盛香織(甲南女子大学)「hapa文学における人種と絡みあうセクシュアリティ」
複数の人種ルーツを持つアジアパシフィック系アメリカ人をhapaと呼ぶ。本発表ではKathleen Eldridge、 Paisley Redkal,、Jacki Wangといったhapa作家作品における人種の在り方を系譜的に考察すると共に、彼/女たちの人種ルーツが与える独特のセクシュアリティの問題も検討する。
・渡邊真理香(高知工業高専)「Nina Revoyrとポスト・レイシャル・アメリカ―Lost Canyonを中心に」
Nina Revoyrは主に、現代に生きる日系アメリカ人の複雑なアイデンティティと、異人種間での歴史の共有を描いてきた。本発表では、最新作Lost Canyon (2015) を中心に、欲望・羨望・恐怖の対象として描かれる作者自身を投影したかのような人物を考察し、Revoyrがポスト・レイシャル・アメリカをどう捉えているのかを明らかにしたい。
・古木圭子(京都学園大学)「Velina Hasu Houstonの戯曲にみるアメラジアン性と家族像―A Spot of Botherを中心に」
Velina Hasu Houstonの戯曲には、一国の文化的規範に囚われず、みずからのアイデンティティをトランスナショナルな視点で捉えようとする人物が登場し、人種、エスニシティが異なる両親の狭間で心的葛藤を繰り返す。そのような視点から本発表では、A Spot of Bother (2008)を中心として、Houstonの戯曲におけるアメラジアン性について考察する。

(Morning Session: Lecturer’s Profile): Dr. Brian Locke
A fourth generation Japanese-American, Dr. Brian Locke is the author of Racial Stigma on the Hollywood Screen: The Orientalist Buddy Film (Palgrave Macmillan, 2012 paperback) as well as numerous articles on Hollywood, race (especially the East Asian), Asian American history and literature, and masculinity. He holds a PhD in American Civilization from Brown University and has taught American studies, Asian American studies, comparative ethnic studies, cultural studies, and film studies at the University of Colorado at Boulder, University of Illinois at Urbana-Champaign, University of Utah, and Yale University. Currently, Dr. Locke teaches at the University of Tokyo, Centre for Global Communication Strategies.

(要旨)特別講演「ヘンリー・ジェイムズの「人種」認識:“Whiteness”の創出
―後期小説作品と旅行記『アメリカの風景』をめぐって」
講師:別府惠子(神戸女学院大学名誉教授)
『黄金の盃』(1904)の冒頭、アメリカン・ガール、マギーとの結婚を目前にひかえ、「古代ローマ」を想起させる「現代の」ロンドンを彷徨(さまよ)うイタリア貴族の末裔アメリゴ公爵は、ポーの『アーサー・ゴードン・ピム』の最後に現出する、「眩い光のカーテン」、「濃密な白い空気」を思い出す。ポーの作品では、大瀑布の裂け目に吸い込まれるピムのボートの前に、経帷子をまとった大男、肌の色が雪のように純白の “human figure”が立ち現れる。
トニ・モリスンは、Playing in the Dark: Whiteness and the Literary Imagination (1992)の執筆動機を、アメリカ文学研究により開かれた批評地理の地図を描く試み、丁度、「新世界の最初の地図が広い空間を切り開いたように」、と解説する。以来、「ブラックネス」でなく、「ホワイトネス」がアメリカ文学研究における話題となって、すでにひさしい。
ヘンリー・ジェイムズの愛読者でもあるモリスンだが、『メイジ―の知ったこと』(1897)に登場する黒人女性に、会釈程度の言及さえない、と手厳しい。たしかに、モリスンのいう「アフリカニスト」「アフリカニズム」はジェイムズの想像世界の死角かもしれない。しかし、世紀転換期、新・旧ふたつの大陸に生き、作家活動をした「ザ・マスター」は「人種」認識 “race consciousness”に、ことのほか敏感であった。
そのヘンリー・ジェイムズ(1843-1916)の「人種」認識、モリスンのことばを借用すれば、“Americanness”について、ジェイムズ後期の小説と『アメリカの風景』(1907)をテキストに考えてみたい。