「まえがき」より
アジア系アメリカ文学研究会は、一九八九年アジア系作家の作品を読む読書会として発足した。発起人四人、第一回の読書会参加者十二名の小さな会であった。しかし、時代の流れを捉えようと燃えていた。参加者の殆どは、「黒人研究の会」のメンバーで、その関心を黒人文学研究からアジア系文学研究へと広げていた。関西で約半世妃の研究活動歴を持つ「黒人研究の会」は、アメリカ黒人、アフリカ黒人のみならず、アジア系、ネイティヴ・アメリカンにも視野を向けたマイノリティ研究のメッカともいうべき研究グループであったがやはり主力は黒人研究で、他のマイノリティ研究は軒を借りる形となった。そこで思う存分、アジア系作家・作品について話し合える仲間が欲しいと集まったのが、今日のアジア系アメリカ文学研究会の発端である。今日、アジア系作品、研究書はどこででも入手できる。しかし、発足当初は、アメリカの特定書店でしか入手できず、一括注文から配布までかなりの手間ひまがかかった。しかし、読書会は失望に終わることがなかった。毎回、「うかうかしていると口を差し挟む間もない」とぼやく声が聞こえるほど議論が沸騰した。そして、いつも「次回が待ち遠しい」といって別れた。こうしてまたたく間に十年が経った。その間にフェミニズムへの関心からアジア系作品に興味を持つ人、アジア系の映像、演劇、音楽に関心を持つ人、日本在住の外国人の立場から関心を持つ人など、さまざまな角度からアプローチする人の参加で、会はいよいよ活気溢れるものとなった。現在、会員は百名を越え、北は北海道、南は沖縄ほば全国各地から集まっている。年間五回の例会またはセミナーと、一泊二日の夏期フォーラムを神戸、京都、東京と会場を巡回させながら開催している。外国人研究者の会員が多いのも、この会の特徴で、毎年セミナー、フォーラムには海外のアジア系研究者、作家を特別講師として招待している。今では読書会と言うよりは研究報告会の色合いが強くなったが、初期の原典主義、既存の権威にこだわらない自由な発想と自由な発言のできるくつろいだ雰囲気、しかし容赦ない批判精神は今も息づいている。本書の刊行はこうした会員の十年にわたる研究の積み上げの成果である。特に本書の企画は一九九三年以来毎夏開催しているフォーラムのテーマを骨子として発展させたものである。フォーラムのタイトルは、第一回「アジア系アメリカ文学の歴史的枠組み」、第二回「アジア系アメリカ文学における家族像」、第三回「戦争と日系アメリカ文学」、第四回「アジア系アメリカ文学におけるジェンダー」、第五回「アジア系アメリカ文学における自伝」、第六回「アメリカ史におけるハワイ―民族・文学・自然」、第七回(十周年記念特別フォーラム)Interracial Encounters」、第八回「アジア系アメリカ文学と戦争」となっている。これらテーマは、ほぼ七〇年代以降のアジア系アメリカ文学研究の主要な動向を受け止めたものである。本書の企画に際し、フォーラムの発表者だけではなく、若手も含め、できるだけ多くの会員の参加をという考えで、第一章の「歴史」部分を除いて執筆を一人一論文という原則にした。その上で各章四人の執筆者を立てたが、残念ながら病気その他の理由で途中断念する人も出た。そのため予定していた作家や作品が抜け落ちるという思わぬ現象が起きた。特にアジア系文学の立役者ともいうべき中国系のマキシン・ホン・キングストンやエイミィ・タン、日系のジョイ・コガワ、フィリピン系のカルロス・プロサン、日系新一世のキョウコ・モリなどを正面から論ずるものを収録できなかったのは残念である。しかし、執筆者が現在取り組んでいる作家・作品を通してアジア系アメリカ文学の過去から現在に至る流れが反映されたものになっている。抜け落ちたものに関してはすでに研究会が毎年発行しているAALA Journalという会誌に論文が掲載されているので、併わせてお読みいただければ幸いである。また本書の巻末に毎号AALA Journalに載せてきた、AALAライブラリー(会員による著書、論文、翻訳、その他研究資料書誌)を転載しているのでそれもご利用いただきたい。「アジア系アメリカ文学研究」といえば、アメリカでは早や三十年の蓄積があり、おびただしい数の研究書、批評書が出されている。日本ではようやくここ数年、学会の関心がこの分野に向けられるようになったが、恐らく日本では初めての本格的アジア系文学評論集と思われる本書が、今後の研究の前進に少しでも役立つなら、会員の喜びこれに優るものはない。また今後の更なる研鑚のため、お気づきの点をご教示いただければ幸いである。最後に、この研究会の今日に至るまでの歩みを支えて下さった多くの方々に心より感謝申し上げる。特に惜しみないエールを送って下さった「黒人研究の会」の皆様、海外講師招時の助成をしていただいた「国際交流基金」「日本アメリカ学会」、AALA Journal創刊や十周年記念行事に際し、出版助成・学会活動補助をしていただいた神戸女子大学学長、その他折に触れカンパをして下さった有志のご援助に心よりお礼申し上げる。本来、本書は一九九九年十月の十周年記念特別フォーラムまでに出版の予定であったが、さまざまな事情により計画が大幅に遅れてしまった。辛抱強く企画の実現を見守り、出版をお引き受けいただいた大阪教育図書の横山哲彌社長、編集部の春名英明氏に厚くお礼を申し上げる。
二〇〇一年三月
アジア系アメリカ文学研究会 評論集編集委員一同
目 次
はじめに
まえがき
プロローグ
第一章 歴史
1 中国系アメリカ人の歴史(植木照代)
2 日系アメリカ人の歴史―ハワイへの移民(濱野成生)
3 日系アメリカ人の歴史―アメリカ本土への移民(桧原美恵)
4 フィリピン系アメリカ人の歴史(河原崎やす子)
5 韓国系アメリカ人の歴史(元山千歳)
第二章 戦争
1 強制収容と日系一世の文学―一世の心の中の日本(篠田左多江)
2 第二次世界大戦と日系二世の文学(山根和代)
3 韓国系作家の描く従軍「慰安婦」という主題(申幸月)
4 ベトナム戦争とベトナム系アメリカ文学(吉田美津)
第三章 コミュニティ・家族
1 戦前の日系社会とその変容―トシオ・モリとヒサエ・ヤマモト(稲木妙子)
2 『ハワイ・ノ・カ・オイ』に見る世代交代―「コナコーヒーの味」の場合(中川芙佐)
3 『骨』における家族・物語・歴史(ヴィヴィアン・フミコ・チン〔山本秀行訳〕)
第四章 ジェンダー・セクシュアリティ
1 アジア系アメリカ演劇におけるマスキュリニティとクイアネス(山本秀行)
2 母のつぶやき―ワカコ・ヤマウチの短編に見られるセクシュアリティを巡って(桧原美恵)
3 アジア系アメリカ文学におけるクイアな領域(村山瑞穂)
4 ホモセクシュアリティ―民族の性への揺さぶり(元山千歳)
第五章 自伝
1 イートン姉妹の自伝とフィクションに見るハイブリデイティの政治学(植木照代)
2 日系一世たちの自己表現―下山逸蒼と伊勢田初枝の短詩形文学(中郷芙美子)
3 日系アメリカ人の自伝―二世・三世のアイデンティティ探し(野崎京子)
4 南アジア系北アメリカ作家の自伝的作品―スレーリ/アレグザンダー/オンダーチェ/ゴッシュ(石原敏子)
第六章 新たな潮流
1 変容するアジア系アメリカ人意識―ジェシカ・ヘゲドンを解読する(河原崎やす子)
2 エコロジー・エスニシティ・サバイバル―デイヴィッド・マスモトの作品に見る市民の抵抗(佐川和茂)
3 移動・越境・混血―最近の日系女性作家における新しい主体意識(小林富久子)
執筆者紹介
あとがき
図版出典一覧
AALAライブラリー アジア系アメリカ文学書誌
索引